ビートルズがやって来るたヤァ!ヤァ!ヤァ!
『コンプリート・ビートルズ』(The Compleat Beatles)
1984年(昭和59年) 12月31日 午後4時、高校生のとき、NHKで『コンプリート・ビートルズ』(The Compleat Beatles)という映画を、たまたま観た。
1982年にアメリカのMGM社が制作したビートルズのドキュメンタリー映画で、2時間で結成前から解散までよくまとめられていた。
もちろん、ビートルズというグループ名、「Yesterday」,「Let It Be」等の有名な曲は知っていたが、この映画によりビートルズの一通りの知識(イギリス リバプール出身、4人組のグループである等)を得た。
なぜ、正確な放送日時まで覚えているのだと不思議に思うかもしれない。何のこともない。NHKで調べたら出てきた。
ただ、1984年(昭和59年)12月頃というのは記憶していたが、さすがに日にちまでは覚えていなかっので、今回調べてみた。大晦日だったとは意外だった。
この映画はDVD化されていないようで、自分も観たのはこの放送時のみである。YouTubeにはあるが、字幕がなく英語力がないので部分的にしか分からない。
【NHKアーカイブス 過去番組表検索】
https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A198412311600001300100
『コンプリート・ビートルズ』の日本語版はないものと諦めかけていたが、👆の参考リンクによると「Dailymotion」(フランスの動画共有サービス)にあるようだ。
ただし、14個の動画に分割されていて、さらにブログへの埋め込みがうまくできなかったので👇にリンクだけ貼る。
https://www.dailymotion.com/video/x107nxy
https://www.dailymotion.com/video/x107nyf
https://www.dailymotion.com/video/x107nz1
https://www.dailymotion.com/video/x107nzm
https://www.dailymotion.com/video/x107o0b
https://www.dailymotion.com/video/x107o0i
https://www.dailymotion.com/video/x107o0x
https://www.dailymotion.com/video/x107o19
https://www.dailymotion.com/video/x107o21
https://www.dailymotion.com/video/x107o2e
https://www.dailymotion.com/video/x107o2s
https://www.dailymotion.com/video/x107o30
https://www.dailymotion.com/video/x107o39
https://www.dailymotion.com/video/x107o3m
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」(Strawberry Fields Forever)
『コンプリート・ビートルズ』の中で特に印象に残った曲が「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」(Strawberry Fields Forever)だった。それまで聴いたことがない不思議な雰囲気を持つ曲だと感じた。
「ストロベリー・フィールズ」とは何ぞやと疑問に思ったが、しばらく経って、リヴァプール郊外にあるジョン・レノンが幼少期に暮らしていた家の近くにあった救世軍が運営する戦争孤児院ということが分かった。
以上のように、『コンプリート・ビートルズ』というドキュメンタリー映画を観ることにより、ビートルズの偉大さを知り、興味を持つようになった。
まさしく、自分のところに、ビートルズがやって来たのである。ヤァ!ヤァ!ヤァ!
ビートルズの聴き方・情報収集
『コンプリート・ビートルズ』を観て、無性にビートルズを聴きたくなった。それから、もっとビートルズの事を知りたくなった。
一番いいのはビートルズに詳しい友人にレコードを借りたり、いろいろと知りたい事を教えてもらう方法だが、残念ながらそんな自分には友人はいなかった。
ビートルズを聴くには、まずはレコードからだと思った。
赤盤のようなベストレコード
灯台下暗しではないが、自宅にはなぜかビートルズのレコードがあることに気づいた。初期の代表曲を集めたベストアルバムで、いわゆる「赤盤」のようなレコードで、これから聴き始めた。
※ちなみに「青盤」は、今もCDで持っている。
この最初聴いたレコードは処分してしまったので、どういうものだったのかどうしても思い出せない。
…と悔やんでいたが、YouTubeでたまたま印象的なアルバムジャケットを見かけて、これだ!と思い出した。
『オールディーズ』(A Collection Of Beatles Oldies)というタイトルであった。
書籍
次に『ビートルズ大百科』という本(👇のAmazon参照)を購入した。ビートルズにはどういうアルバム・曲があるのか分からないからである。インターネットのない時代であったから、本でしか詳しい情報は得られなかった。
それによると、1963年のファースト・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』(Please Please Me) から1970年のラスト・アルバム『レット・イット・ビー』(Let It Be)まで計12枚のアルバムがあって、曲数は213曲で、シングルの一部はアルバムに未収録のものがあるという。
ビートルズは1970年に解散し、再結成しない限り(ジョン・レノンが殺害されたので可能性は0に近かった)、新譜はリリースされず、これ以上アルバム・曲は増えないのである。
また、しばらく経ってから、その当時、春苑堂書店(旧 高島屋プラザの隣)の4F?にあった洋書コーナーで、なぜか『THE BEATLES LYRICS』という英語の本(歌詞が載っているだけの本)を購入した。
レコード屋・貸レコード屋・FMラジオ
自宅にあったレコード以外の曲を聴くのに最も手っ取り早い方法は、レコード屋でアルバムを買うことであるが2,500円以上?と高額であり、聞き始めた頃はまだ他の洋楽も聴いており、高校生のためお金がなく買えなかった。中古レコードも割高で買わなかった。
また、その当時の貸レコード屋にはなぜかビートルズのレコードは置いてなかったような気がする。
買うことも借りることもできない。となると、あとはFMラジオだけが頼りで、よくビートルズ特集番組をエアーチェックしてカセットテープに録音した。おかげで、ほとんどの曲を収集することができた。
あと、後述のビートルズのクリスマス・レコードや、解散後のジョン・レノン、ポール・マッカートニーのソロ曲もFMラジオにより録音することができた。
それから
こんなことをやっているうちに、その後の高校生時代はビートルズにどっぷり嵌り、「なぜビートルズが現役時代に、自分は中学生や高校生でなかったのだろうか?」と思ったり、挙句の果てには「ビートルズ以外の音楽は音楽ではない」とさえ思うようにまでになった。
同時に洋楽も聴いていたが、以前ほど興味を持てなくなり、あれほど好きだった『ベストヒットUSA』もあまり観なくなった。
あれから40年
ビートルズを聴き始めた1985年から今年(2025年)でちょうど40年となった。
集中して聞いたのは1985~86年の2年間であり、そのあとは主にクラシック音楽を聴くようになった。
とはいっても、もちろんビートルズも聴いていたし、洋楽もYMOも聴いていた。
クラシック音楽を聴くようになってからこう思うようになった。
『ビートルズは最も新しいクラシック音楽である』と。
いうまでもなく、クラシック音楽は100年、200年あるいは300年以上前の音楽である。バッハやモーツァルトやベートーベンもそれだけ長い年月のあいだ聴かれているからクラシック音楽なのである。
ビートルズは解散して55年以上経ったが、いまだにその人気は衰えず、20世紀最高の音楽グループであることに疑いなく、これから100年、200年あるいは300年以上聴かれ続ける音楽であろう。
よって、ビートルズは最も新しいクラシック音楽である。
それからこういうことも考えた。
イギリスには、ドイツのバッハ,ベートーヴェン、オーストリアのモーツァルト、フランスのドビュッシー、ロシアのチャイコフスキー、イタリアのヴェルディに該当する有名なクラシック音楽の作曲家はいないとよく言われるが、代わりにビートルズがいると。
クラシック音楽には、「ドイツ三大B」という言葉がある。
名前の頭文字がBであるドイツの三人の大作曲家、バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)、ブラームス(Brahms)のことだ。
これにビートルズ(Beatles)を加えて、「ドイツ四大B」としたらどうだろうか?
というのも、ビートルズが無名だった1960年代前半、西ドイツ時代のハンブルクのライブハウスで演奏し下積みをしていたからだ。かなり無理があるが…。
ビートルズに関するエピソード
ここで終わらせてもいいのだが、ついでにビートルズに関するエピソードを書こうと思う。
ビートルズは有名であるためファンが多く、ありきたりな事(ex エルヴィス・プレスリーとの面会事件、ポール死亡説、ジョンのキリスト発言)を書いてもつまらないので、あまり知られていないと思われる事を書こう(すでにご存知ならば申し訳ない)。
ヒットチャートの独占
【イギリス アルバムチャート】
1963年4月26日、 ファースト・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』発売。
〃年5月11日付けチャート第1位、その後、連続30週間 第1位。
1963年11月22日にセカンド・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』発売、
〃年12月7日に『プリーズ・プリーズ・ミー』に代わり第1位を獲得。1964年5月まで21週間連続1位。
この2枚のアルバムで51週間、ほぼ1年に渡り英国のアルバムチャートの第1位を占有していた。
【アメリカ シングルチャート】
1964年4月4日、ビルボードチャートで上位1~5位を独占、同時にHot 100には合計12曲が入っていた。
来日・日本公演
1966年(昭和41年)6月29日に来日、羽田空港到着は午前3時39分(台風のため遅着)。有名なJALの法被姿は夜明け前に撮影されたのである。
日本武道館でコンサートを行ったが、ここで音楽公演をしたのはビートルズが初めてであった。ドリフターズ(志村けんの加入前)等が前座をつとめた。
また、日本公演ではないが、野球場でコンサートを行ったのもビートルズが初めてである。
ドイツ語バージョンの曲
ビートルズには、ドイツ語バージョンの曲が2曲ある。「抱きしめたい」(Komm, gib mir deine Hand)と「シー・ラヴズ・ユー」(Sie liebt dich)である。
デビュー前、西ドイツのハンブルクで下積みをしていたので、ある程度、ドイツ語を理解していたようである。
「愛こそはすべて」(All You Need Is Love)
「愛こそはすべて」(All You Need Is Love)のイントロ部分はフランス国歌(ラ・マルセイエーズ)である。なぜ、わざわざこの曲をイントロにしたのかははっきりしない。ラ・マルセイエーズの表す「自由・平等・博愛」が曲のテーマに合っているからという説、当時、イギリスとフランスの関係がぎくしゃくしており、改善のため取り入れたという説がある。
【参考】フランス国歌を取り入れた曲としては、チャイコフスキーの序曲『1812年』変ホ長調 作品49が有名である。
1812年はフランス(ナポレオン)がロシアに攻め込んだ年で、フランス軍の進行・優勢、そして敗北をフランス国歌とロシア帝国国歌などで巧みに表現している。
順番に、①冒頭からVer.、②ラ・マルセイエーズが最初に演奏される個所(5:49~)からVer.。
歌詞カード
日本には以前から”歌詞カード”があったが、イギリスやアメリカでのアルバムには、それまでそういう概念が存在しなかった。
ビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band)で初めて”歌詞カード”をアルバムに取り入れた。
ただし、封入ではなく、有名なアルバムジャケットの裏面に記載された形であった。
クリスマス・レコード
ビートルズには、特別なクリスマス・レコード(ソノシート)がある。1963年から1969年までの間、ファンクラブのメンバーに贈られた合計7枚レコードである。
「ヘイ・ジュード」(Hey Jude)
「ジュード」とはジョン・レノンと最初の妻との息子、ジュリアン・レノンの事である。
ジョンとオノ・ヨーコとの交際をきっかけに精神的に不安定な状態にあったジュリアンを慰めるためにポール・マッカートニーが作曲した。
後にジュリアン・レノンは、1984年にファースト・シングル「ヴァロッテ」(Valotte)を発表。父親にそっくりな声だったため、ジュリアン・レノンを加入させて、ビートルズは再結成されるのではないかという真しやかな噂話が広まっていた。
レクイエム
1980年12月8日、凶弾に倒れたジョン・レノンの搬送先病院で流れていたのは、ビートルズの曲であった。
それは、ポール・マッカートニー作曲の「オール・マイ・ラヴィング」(All My Loving)である。
本当は、自作の「ヘルプ!」(Help!)を聴きたかっただろうに!
まだ、いろいろと書きたい事はあるが、長くなるので、このあたりで止めておこう。
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