✅2025/09/30までにサーバー更新を!!
雑記

わたしの音楽遍歴③

ベストヒットUSA

1982年(昭和57年) 10月 、かごしまに3局目の民放 KKB(鹿児島放送)が開局した。そのチャンネルで、土曜日の23:00から(だったはず)放送があった『ベストヒットUSA』(司会:小林克也)を、同年12月頃、偶然みた。『ザ・ベストテン』の洋楽版といったところの番組である。
『ザ・ベストテン』はアーティストが登場し生歌を聴かせる番組で、『ベストヒットUSA』では代わりにミュージック・ビデオをチャートの10位から1位まで流すスタイルである(当たり前だが、ラジオならレコードをかけるだけでいいが、海外のアーティストなのでテレビではこうするしかない)。

『ザ・ベストテン』を見慣れていたので、このミュージック・ビデオというものがとても新鮮であった。しかも、アメリカにはMTVというケーブルテレビ(これがどういう仕組みなのか理解できなかった)があって、24時間ミュージック・ビデオを流し続けるという。つくづく、アメリカはすごい国だなと思った。

この番組を観たことにより、以後、アメリカ・イギリスのロック・ポップス(いわゆる洋楽)を聴くようになった。

なお、邦楽は家族が観ていた『ザ・ベストテン』、『夜のヒットスタジオ』とかを見る程度で全く聴いてなかった。

当時の音楽の聴き方・情報収集

・まずは、『ベストヒットUSA』をほぼ毎週観た。
 その頃の土曜日は半ドンで、午前の授業中から今週はどの曲が1位になるのかと夜の放送が楽しみであった。
 なお、その頃は当然ながら、ビデオデッキはなかったのでリアルタイムに観るしか方法はなかった。

・たまに『夜のヒットスタジオ』に海外のアーティストがゲスト出演することがあったので、その時は観ていた。

NHK FM放送で洋楽の番組をエアーチェック(番組を受信してテープレコーダーなどで録音すること)していた。
 ※毎週日曜日の18:00?から最新の洋楽ランキングを紹介する番組があったような気がする。あとは単発の番組。
 ※DJの曲スタートの合図とともにカセットテープへの録音を開始(ポーズを解除)、曲の終わりで録音を終了(ポーズに設定)、曲名・グループ名をメモ書きをしたりするなど、今思えば、とても面倒くさい作業をしていた。

レコード店でレコードを買うか、貸レコード店で借りていた。
 ※アルバムは、2,500円以上したのでめったに買えなかった。

『FM STATION』という雑誌をよく買っていた。
 ※『キャッシュボックス』(Cash Box)のヒットチャートが目当てであった。
  『ベストヒットUSA』のチャートは主に『ラジオ&レコーズ』のチャートであったのでその違いを調べていた。

★インターネット・YouTubeのない時代であるので上記の方法で聴いたり、情報収集するしかなかった。
 主にヒットチャートを中心とした聴き方をしており、この頃(1983~85年)の洋楽の事は詳しいのではないかと思う

当時の音楽機器

当初、ステレオは全てテクニクス製のアンプ、レコードプレーヤー、チューナー、スピーカーという構成で、カセットデッキがなかった。そのためカセットテープはラジカセで聴いていた。
1982年(昭和57年) 1月頃、テクニクスのダブルカセットデッキ(RS-M202)を買ってもらった。これはかなり昔に処分したので、どの機種を買ったのか忘れていたが、インターネットで検索したら簡単に見つかった。
これを使って、エアーチェック、レコードからの録音、ダビングをしていた。ドルビーNR(ノイズリダクション)、オートテープセレクタ(ノーマル(Type I)、クローム(Type II)、メタル(Type IV)の自動検出)とか懐かしい。
※この頃は、オートリバース機能は付いてなかったようだ。

当時聴いていたグループ・曲

ダリル・ホール&ジョン・オーツ(Daryl Hall & John Oates)

『ベストヒットUSA』を初めて見た時の第1位は、このアメリカのポップデュオの「マンイーター」(Maneater)だった(ということは、必然的に初回視聴は1982年12月頃となる)。

1983年に『フロム・A・トゥ・ONE』(Rock’n Soul Part1)という新曲2曲を含めたベストアルバムを買った。
「ワン・オン・ワン」(One On One)という曲が好きだった。

デュラン・デュラン(Duran Duran)

イギリスのロックバンド。とにかくかっこよくて、中学時代、大ファンであった。
「セイヴ・ア・プレイヤー」(Save A Prayer)は、ゴダイゴの「ガンダーラ」みたいな名曲だと思う。

ワム!(Wham!)

イギリスのポップデュオ。ファースト・アルバム『ファンタスティック』(Fantastic)をよく聞いていた。
2作目のアルバム『メイク・イット・ビッグ』も買ったが、路線変更と思われる曲ばかりであまり好みではなかった(こちらの方が売れたが…)。
有名な「ラスト・クリスマス」も好きじゃない。やはりワムは1作目が最高。

特に「ラブ・マシーン」(Love Machine)という曲(カバー曲)が好きだった(モーニング娘の曲ではない!)。

2曲目に紹介している「クラブ ファンタスティック メガミックス」(Club Fantasitic Megamix)は、レコード会社がファースト・アルバム収録曲を本人達の承諾を得ず勝手に楽曲を編集、レコードを発売した曲。そのため2人は激怒し、2作目のアルバムからレコード会社を変更した。個人的にはこのミックス曲が大好きで、中学時代によく聴いていた。今も聴いている。

カルチャー・クラブ(Culture Club)

イギリスのポップ・ミュージック・バンド。ヴォーカルのボーイ・ジョージ(Boy George)の女装が目を引き、「ボーイ」という名前に最初笑った。
「カーマは気まぐれ」(Karma Chameleon)が1番のヒット曲だが、個人的には「君は完璧さ」(Do You Really Want to Hurt Me)が№1。

貸レコード屋(レンタルレコード店)でアルバム(LP)を初めて借りたのが、このカルチャー・クラブのファースト・アルバム『ミステリー・ボーイ』(Kissing to Be Clever)であった。
天文館チャンスセンター近くにボン大福という洋服屋?があって、貸レコード屋も同時に?やっていてそこで借りた。
👇写真 左中央:たぶんここだったと思うが自信がない。㊟写真は’70年代のものらしい
https://www.omotetsu.com/wallpic/file_jp404/wpj016.htm

マドンナ(Madonna)

ファースト・アルバム『バーニング・アップ』(Burning Up)を中学生の頃、よく聞いていた。2作目のアルバム『ライク・ア・ヴァージン』(Like a Virgin)は予約して、発売日の1984年11月28日、十字屋へ買いに行った。このアルバムが大ヒットし、マドンナは大スターとなった。

だが、個人的にはあまりにも売れすぎたため、逆になんだか白けてしまった。そこそこ売れていた頃のマドンナの方が良かったのである。そのため、3作目のアルバム以降、聴かなくなった。
まさか、その後もヒットを出し続け、現在までの間、第一線で活躍するとは思いもよらぬことだった。

★なお、十字屋は、現在、十字屋クロスという店名で中町交差点近く(もともと、ここにはMBCサービスという家電量販店があった)にあるが、その当時は天文館本通りにあった(現:洋服の青山 天文館店付近)。
市電を挟んで反対側の天文館にもレコード店があったような気がする(昔あった高島屋プラザの横)が、店名が思い出せない。けれども、かごしまのレコード店といったらやっぱり十字屋であった。

プリンス(Prince)

アメリカの王子様。よくバンド名を変更することで知られている。マイケル・ジャクソンとともに、アメリカの黒人音楽を代表するアーティスト。マイケル・ジャクソンは、のちに白人になってしまったけれど…。

次の2曲は、プリンスによる提供曲。
特に、バングルス(The Bangles)の「マニック・マンデイ」(Manic Monday)は意外である。

ポリス(The Police)

スティング(Sting)が所属していたイギリスのロックバンドといった方が分かりやすいか?
「見つめていたい」(Every Breath You Take)は渋い曲で中学生の自分にはよく分からなかったが、大人になってその良さが分かるようになった。
たまに、フィル・コリンズの「見つめて欲しい」(Against all Odds)と間違う(’90年代にマライア・キャリーがカバーした)ことがある。

マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)

1980年代の洋楽といえば、マイケル・ジャクソンである。『スリラー』(Thriller)のミュージック・ビデオは、ミュージック・ビデオの完成形である。最初、『ベストヒットUSA』で観た時は度肝をぬかれた。映画かと思った。

「ガール・イズ・マイン」(The Girl Is Mine)でポール・マッカートニーとデュエットした。
このとき、初めて、ポール・マッカートニーという名前を知った。後に「セイ・セイ・セイ」(Say Say Say)でも二人はデュエットした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました