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かごしま

かごしま市電 上町線

上町線(戦後のルート)

今は昔、鹿児島市電に上町線という路線があった。市役所前から城山の方向に分岐し、市役所前 - 私学校跡 - 岩崎谷 - 長田町 - 竪馬場 - 柳町 - 春日町 - 清水町(約2㎞)というルートの路線である。1985(昭和60)年9月30日に、赤字と道路混雑解消のため、伊敷線と同時に廃止された。
その当時、わたしはバスで通学していた。バスが運行する国道10号線と、上町線は柳町・春日町の間から清水町まで並走しており、朝などは酷い渋滞であった。
それまで上町線は利用したことがなく、また、自分の住んでいる場所柄、全く利用価値のない路線であり、そればかりか渋滞を引き起こす迷惑な路線だと思っていた。

かごしま市電 上町線

実際に廃止されたあと、国道は市電の軌道の分だけ通行帯が広がり、朝の渋滞が著しく改善された。
廃止されて本当に良かった、良かったと当時は思っていた。

あれから月日が経ち、今年(2025年(令和7年))で40年が経とうとしている。当時はわたしにとって厄介者であった上町線も懐かしく思える。
近ごろ(2025年3月15日)、磯庭園の前にJRの新駅 仙巌園駅が誕生したが、かつて上町線を清水町から鳥越トンネルをくぐらせ、仙巌園まで延伸する計画があったという。

考えてみれば、上町線は鹿児島市電としては風変わりな路線であった。すなわち、城山の手前にある薩摩義士碑までの登山鉄道ような区間、岩崎谷で国鉄(JR)をオーバークロス、長田町 – 竪馬場 – 柳町間の隘路区間、柳町 – 春日町 – 清水町間の国道との並走区間、とわずか2kmの間に目まぐるしく車窓が変化するからである。

もし廃止されずに、仙巌園まで延伸していたら江ノ電のように人気路線となっていただろうに、残念である。

1:06~ 城山側から撮影した上町線、ナレーターは兼高かおるだろうか?

👇上町線と同時に廃止された伊敷線の映像 

上町線(戦前のルート)

なお、戦前の上町線は少し異なるルートで運航されていた。朝日通電停から分岐して、南日本銀行本店横を通り城山方面へ、朝日通 - 郵便局前(現 東郵便局) - 公会堂前(現 中央公民館) - 七高前(現 鹿児島大学、 戦後移転し現在はこの場所に県立図書館、黎明館がある) - 岩崎谷 - 長田町 - 竪馬場 - 佐藤小路 - 柳町というルートである(㊟柳町 – 清水町までの区間は戦後開通)。

太平洋戦争時の鹿児島大空襲(1945年(昭和20年)6月17日)により一時休止され、1948年(昭和23年)に前述のルートに変更され再開された。西郷郷隆盛銅像は1937年(昭和12年)建立なので、8年余り、市電はその前を通っていたのだ。

もし、太平洋戦争が勃発しなければ、廃止までこのルートで運航していたかもしれない(公会堂前 – 七高前間は国道10号線と並走するので、やはり交通渋滞が予想されるが…)。

かごしま市電 上町線

戦前の地図

米 陸軍作成の地図👉
左から(スマホの場合 上から)
・全体図
・上町線部分(抜粋)
(出典)
https://maps.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/
※加治木、薩摩川内の地図もある

かごしま市電 上町線
かごしま市電 上町線

わたしは、小さい頃(1970年代)、南日本銀行本店横の朝日通りに引込線のような短く途中で切れた線路があった事を記憶している。子供ながら、なぜこんな場所に線路があるのだろうかと疑問であったが、今、思えば、戦前の上町線の名残りであったのである。
しかし、それもいつの間にか消えてなくなってしまった。いつ頃、撤去されたのかはなはだ疑問だ。

戦前の上町線の写真(さすがに動画はないだろう!)がないだろうかと思い調べたら、
国立国会図書館に次のような写真があった。

かごしま市電 上町線

『鹿児島写真大観之巻』
写真タイムス社,昭和11年出版 P92より,
国立国会図書館デジタルコレクション

かごしま市電 上町線
国立国会図書館デジタルコレクション

写真は「朝日通電車交差点に新築中の鹿児島無盡株式会社」とタイトルされている。目当ての市電より新築中のビルのほうが気になった。

最初、「盡」という旧字体漢字が手書き文字でさらに不明瞭のため判別できず、「鹿児島無線株式会社」ではないかと思った。会社名で「無」という漢字を使用する例は「無線」ぐらいしか思いつかないからだ。この建設中のビルは、「鹿児島無線株式会社」の建物で、空襲により破壊され現在は存在しない(会社自体も)と仮説を立てた。
でも、なんか変だ。山形屋のビルも空襲で被害を受けたが残ったので、このビルもそう簡単に倒壊しないはずだ。それから、無線会社がこんな大きなビルを建てられるはずはない。

写真を拡大してようやく会社名は「鹿児島無盡(尽)株式会社」ではないかと思った。でも無盡(尽)株式会社とは何であろうか?

そこで「鹿児島無盡(尽)株式会社」で調べたら、件の会社は現在の株式会社南日本銀行であり、無尽会社という名称は相互銀行の前身(南日本銀行の、その前の社名は旭相互銀行)であることがわかった。
ということは、新築中のビルはいうまでもなく登録有形文化財である南日本銀行の本店ビルである。

早く気付けば良かったのだが、南銀のビルは大正時代以前に建設されたものと誤った先入観があったのでおかしな仮説を立ててしまった次第である。普通に考えて、写真に写っている2台の市電の車両の位置関係からしても、このビルは南日本銀行しかありえない。

さらに、疑問に思う人がいるかもしれない。南日本銀行のビルと右端の市電(市役所前から朝日通前へ進行中)との距離が現在と比較して近すぎるのではないか?と。その答えは簡単である。戦後、道路が拡幅され、軌道敷も東側(鹿児島湾側)へ移設されたのである。
それについては、👇の『鹿児島市電が走る街今昔: 花と緑あふれる南国の路面電車定点対比』のP.110に昭和29年3月3日撮影の路線変更工事中の写真が掲載されている。

終戦後、米軍が撮影したもの(無音声)。
 中央公民館のところで、右カーブしている上町線の軌道敷がはっきり映っている。

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